アリドールという市民の財産

アリドールは、私が2010年頃に勝手にそう呼び始めた、東ドイツで売られていたドールハウス用の小さなラバードールです。

ドイツではARIとかリデラープッペンとかいわれてます。

そのアリドールとの出会いは2010年頃、ある蚤の市でした。

普段はドールハウスなど見ないのに、その日はひときわ素敵なドールハウス家具がセットで販売されており、目をひきました。

並べている空間だけでほんとに居間という感じがして、それ自体が、人々が暮らした証のミニチュア版に見えたのです。


それで買い求めたわけですが、なんせ1950-60年頃の木製の上質な家具セット。た、高い...

おばさんと交渉した結果、人形もおまけに付けるから全部買って!...ってやってきたのがフードをかぶったアリドール。

そう、ホセです。

ホセがホセたる所以は物語の中で書きましたので、ココでは触れませんが、その時に私にホセをくれたおばさん、ブリギッテさん、、彼女とは今でもコンタクトがあり、渡航の時にお家に遊びにいっています。

あのとき、ブリギッテさんに出会わなければ、今も蚤の市でドールはスルーしてたでしょう。そして自宅でそれらを使って東ドイツの空間を再現したことがなかったら、オスタルギーあふれるホセがいなかったら、プラネットという空間を持つことにはつながらなかったと今しみじみ思うのです。


アリドールの歴史

アリの人形が作られるようになる前、1864年アオグスト・リデラー(頭文字A・RI→ARI)は現在のチューリンゲン州ケーニヒゼーの近辺に陶器の会社を興しました。

1898年、ケーニヒゼーに鉄道が敷かれる頃、陶製の人形の製作に着手。すでに第2次大戦前には人形を生産する大きな会社になっていました。

戦後、世界初のポリ塩化ビニルによるソフトドールを製作します。つまり、現在の着せ替え人形のルーツはここに。

1960年頃には世界各地への輸出の割合が高くなります。

1964年に100周年を迎え、リデラー社は東ドイツ随一の人形生産の会社に。

1972年には一日の生産数が50,000体に及び、そのうち90パーセントを西側諸国に輸出していました。東側ではチェコスロバキアへの割合が上昇。また同社は東ドイツの10大民間企業にまで上り詰めました。

ドイツ統一後、1994年頃までは一定の生産を保っていましたが、30年以上モデルチェンジしていない小さな人形たちは、だんだんとアジアの工場で生産される安価な現代の人形に太刀打ちできなくなり、1995年を境にリデラー社の人形は市場から姿を消していくことになり、1997年に会社は消滅しました。

 

アリドールは大量生産の人形です。

戦前のドイツの、戦後の東ドイツの子供たちの人形遊びにお供した、輝かしい過去を持ちます。

その表情はどこか緊張しているようで、祖国をなくした現実に戸惑っているようにも見えます。

是非アリドールの仲間で遊んでみてください。数奇な運命を辿ってやってきた日本での未来が広がるに違いありません。